「比」で世界を読み解くことはできるか

1、ニコラウス・クザーヌス

S:算数や数学で一番大事なことは何ですか?
S:これがわかれば数学がわかるというものを知りたいよ。
T:ずばり、それは「比」だと思う。
S:比って比例のこと? 比例がわかれば、数学がわかるの?
S:一次関数は比例ではないけど大事でしょ。
T:一次関数は、切片を引いた値が比例する関数と考えられますよ。
S:比例を一次関数の特別な場合(切片=0)ととらえるのではなく、一次関数を比例の特別な場合ととらえるのですね。では2次関数は?
T:もちろん2乗に比例する関数。
S:ということは、反比例は逆数に比例するといってもいいし、−1乗に比例すると言った方がいいのですね。→【64、対数グラフ と 指数法則】のページへ
T:私が比や比例が大事だと思うのは、「私たちは比を使って新しいことを知る」からなんだ。先日、ある本(「磁力と重力の発見」山本義隆著)を読んでいたら、600年前の人が私と同じ考えを持っているということにびっくりした。まず、この人物を紹介しよう。

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ニコラウス・クザーヌス(1401〜1464)
 中世ヨーロッパのドイツ(当時ドイツという国はないが)のモーゼル河畔のクースに船頭の子として生まれ、ヨーロッパ各地で法学や神学を学び、ついにはローマ教会の枢機卿になった。彼は「一致の思想」と、社会の平和を求め、教会政治の中で調和(一致)と平和のために調停の活動にあたった。またその間をぬって書物を著し、その思想的影響は宗教改革、科学革命にまで及んでいる。
 クザーヌスは、『一なる神によって創造された世界が、なにゆえこれほどの相異と対立に満ちているのか、このような事態と創造の原理とはいかに相容れるのであるか、いかにしたらこの世界のうちに調和と統一が見出されうるのか』という問題に、終生心を砕いた。 
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S:対立ってキリスト教とイスラム教の対立のことなのですか。そういえば、どちらもユダヤ教という一つの宗教から分かれたのですよね。それに、キリスト教の中にもカソリックとプロテスタントの対立もありましたよ。
S:民族と民族の対立や国と国の対立もある。
S:先進国と発展途上国の対立とかもあるよ。
S:その国(民族)を造った神様が違うから、世界が対立しているんじゃないの。
S:世界(宇宙)を造った神様は一人だろ。だって、自然の法則は一つじゃない。
S:でも、現実の世界は対立しているよね。宗教が違うとか、考え方が違うとか。
S:同じ民族でも対立していることがあるよ。意見の対立だってあるし。
T:だから彼は悩んだ。そして、彼が考えた(神から授けられた)解決法の一つが「反対の一致の思想」なのだ。

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『神とは、有限なもののあらゆる対立を自己の内に統一している存在。したがって、神は可能であるとともに存在であり、最大であるとともに最小である。また、神は万物の包含であり、万物は神の展開である。例えば、無限大の円周が直線となるようなものである。神のように無限なるものは悟性的な矛盾律を越えており、そこでは矛盾するものも、排除しあう対立するものも一致している。』
『人間は、感覚・悟性・知性の3段階を経て、認識を高める。悟性は、感覚に形象を与え、知識に区別と連関を与える数学的認識能力であり、その原理は矛盾律である。しかし、絶対的統一である神を認識するには、この矛盾律を越えた「反対の一致」を認める知性が必要である。つまり、我々は、悟性認識の極限において、自己の無知を自覚することによって、はじめてより高い認識に達することができる。』
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S:ソクラテスの「無知の知」と似ているような。
S:この認識の3段階はわかるような気がする。
S:神様は矛盾を全て統一する存在だということだね。そんな神様だったらいいな。
S:そうだよね。いろんな矛盾が神様の中では統一されているんだから、問題も解決されているということだ。世界の矛盾や問題は全て解決する。
S:でも、現実はそうなっていない。
T:それは、人間が自分の無知を自覚していないからだ。だから、その統一は人間が自分自身の無知を自覚するしかない。
S:自分は知っている、相手は無知だという考えは奢りだもんね。
S:でも、無限は人間には理解されえないと考えているけど、数学では無限を取り扱っているよね。
S:「知性」って対立するものを統一するより高い認識なんだ。
T:現代のような対立の時代には、このような考えこそが必要かもしれない。そして、ここには数学的な極限の概念が述べられている。さらに、数学的認識能力については次のように書いている。

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『探求者はすべて、不確実なことを前もって借定された確かなことと比較し、比的に判断する。どんな探求もみな比を媒介として用いるがゆえに、比較的な探求である。』
『比はあるひとつの事物に関してそれがもうひとつの事物と合致しているということを示すと同時に、それがもうひとつの事物とは異なった他のものであるということを示すものであるから、数なしには知解されえない。ゆえに数は、比の可能なもの一切を含んでいる。』
『神は万物を数と重さと尺度にしたがって創造した』のであり、それゆえ『おのおののものは固有な数と重さと尺度をもって自存している。』
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T:【ピタゴラスの世界】で見たように、ピタゴラスは「数と自然の事物の間には類似した関係がある」と述べている。そしてさらにそれを逆転させて「事物は数をまねることでつくられている」と考えた。クザーヌスはピタゴラスの影響をうけているようだ。

2、「比」はなぜ大事か

T:私も何か「わかる」ということは、「比を使う」ことではないかと思っていたけど、すでに600年前に同じようなことを考えていた人がいたことにびっくりしたよ。
S:「わかる」ことと「比を使う」ことが同じってどういうことですか?
T:わかるって新しいことを知ることではないよ。「なるほどそういうことか」というのは、「このことは私の知っていることと同じだ」とか「私の知っていることからこんなことがいえる」というような時に、起こるんじゃない。
S:自分の知っていることと比べるから、比を使っているということなの?
T:例えば、地球と月と太陽の大きさと距離も比例を使って求めている。比例をどう使っているのだろうか。
 →【月と太陽までの距離の求め方】【宇宙船地球号のアナロジー

S:相似形を使えば、比較ができるし、その中の一つの値さえ見つかれば他の値もわかる。
S:大きなものや小さなものを、自分の身の回りの大きさにすることによって、比較実感できるという発想ですね。
T:そして、この考え方がやがて自然の法則を数値で表すという実験の思想につながってくる。
S:だからクザーヌスは数量で自然を表すことが必要だと言っていたんだね。
T:この裏には「ミクロの世界もマクロの世界と相似であり、サイズは縮小されているがその仕組みは同型」という考えがある。例えば、ギルバート(1544〜1603)という人は、地球と小さな球形の磁石を相似だと考えて、地球が巨大な磁石だということを発見した。
S:そうか。だから僕たちは裏側になっても落ちないんだ。
S:あんたは鉄か。

参考「比例のアナロジー」 →【環境の数学】【数学理解のモデル

T:このギルバートの発見は比というよりはアナロジーと言ったほうがいい。でも、彼が小さな磁石の球を作ったとき、相似な地球を思い浮かべたのは自然な発想ではないだろうか。ここで類推の例として、水流システムと電気回路を取り上げてみよう。

    水流システム    電気回路      抽象化       …
対象  パイプ       電線        ものが流れ出るところ
    ポンプ       電池        ものを流し出すもの
    細いパイプ     ニクロム線     流れをじゃまするもの
属性  水圧        電圧        流れの勢い
    パイプの太さ    抵抗        通りにくさ
    流量        電流        流れるものの量        …
主要な 増加(流量:水圧)  増加(電流:電圧)  増加(流れるものの量:流れの勢い)
 関係 減少(流量:水圧)  減少(電流:抵抗)  減少(流れるものの量:流れにくさ)

これは、電気回路を説明する時によく取り上げられるアナロジーである。説得的で見事な説明だと思うが、水流と電気回路にどうしてこんな関係があるのか不思議になってくる。
S:電流は電気の流れだから水流と同じことじゃないの。
S:でも、水は見えるけど電気の流れは見えないし、第一電線は中が詰まっていて水みたいに通れないと思うよ。
S:だから、見えないものを見えるようにするのがアナロジーなんだろ。
S:学び(わかる)とは、こうやって電気という見えないことを、すでに知っている水流に置き換えることであると言ってもいいわけですね。 →参考サイト【アナロジーをどう見つけるか

T:もう一つ、速さについて考えてみよう。速さが「わかる」とは「比を考える」ことなんだ。
「時速60km」=「1時間に60km進む速さ」と決めるよ。
 時間  0   1   2    3    4 …
 距離  0  60  120  180  240

S:時間が2倍になったら、距離も2倍だから比例ですね。
T:モーリス・グリーンは100mを9.79秒で走ります。これはどれくらいの速さなのかを知りたい。どうしたらいい?
S:他のものと比べればいいんだ。
T:比べようとするとどうしたらいい?
 時間  0   1   9.79   979   60秒=1分 → 60分=1時間  …dt
 距離  0  10.21  100  10000  612.87m    36772.2=36.7km  …dy

S:グリーンは1時間も走れないけど、1時間走ったと考えて比べるんだね。
T:こうやって、いろいろな速さを比べることができる。
      歩く  自転車  車  新幹線  旅客機  地球    光  …
 時速   4    12    60   300    920  106000  300000km

S:なるほど。確かに比べることで知らなかったことがわかるな。


3、かけ算のやり方は、比を使う

T:1皿3個のりんご2皿では何個?
 皿数  0 0.1 1 2 3  4  5 …
 個数  0 □  3 6 9 12 15

S:皿の数と個数は比例している。斜めにたすきにかけると等しくなる。
T:これがかけ算の原理だね。さらに、1皿0.3個のりんごを0.5皿…と考えていけば、少数のかけ算を作り出すことができる。
 皿数  0  0.1  0.5   1  2  3 …
 個数  0  0.03  □   0.3 0.6 0.9

S:1皿0.3個のりんごを0.5皿ということは、形式的に0.3×0.5で、これは1皿よりも少なくなるということがわかるよ。
S:比を使うと、小数のかけ算がわかるんですね。
S:クザーヌスが書いているように、私たちは比例で新しいことを判断しているのかな。
S:比でもって知らないことをわかるようにするわけだから、数が大事なんだということですね。
S:そういえば、数学はほとんど比例だよね。
S:比さえわかれば、数学は簡単かもしれない。
S:先生、割合も比でしょ。僕は割合がわからないんだ。
S:私だって、パーセントとか何割引なんて何が何だかわからない。
T:割合も比べるために求めるんだ。どう比べるのかによって割合を使うか百分率を使うか小数を使うかが分かれるよ。
S:もとになる数を10とすれば割合、100にすれば百分率、1にすれば少数ですね。
 元になる量:  1   10     100 …
 比べる量 : 少数  割   パーセント

T:例えば、最近のニュースを紹介しよう。これを比で考えるとわかりやすくなる。「世界の軍事費が1兆ドルを超える。」というニュースだよ。
「世界の軍事費は6年連続で増えています。ストックホルムの国際平和研究所の発表によると、世界の軍事費が1兆ドル(約106兆円)を超える。特にアメリカの軍事費が前年比12%増、48兆円になった。これは世界全体の47%になります。日本は第二位で5兆円。」
S:前年比12%増ということは、前年を100とすると112ということだから、
 パーセント: 100    112=47 → 100    4.7  …
 軍事費  : 43兆円  48兆円   106兆円  5兆円

S:アメリカって超軍事大国なんだねぇ。


4、比では神を認識することはできない!=人間は神を認識できない

T:クザーヌスがこの比を使って、神を考えぬいて到達したのが次の考えである。彼は、神が存在するかどうかを問題にするのではなく、神をどう認識するかを問題にした。
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我々人間が「無限な真理」である神を認識することはできない。なぜなら、無限なものの有限なものに対する比は存在しない。だから「有限な知性」である私たちには神は認識しえない。
既知の事実との比較という有限の思考過程の積み重ねによってしか物事を知りえない私たち人間の知性は、無限なる神・絶対的な真理には到達しえない。そして、真理は我々の無知の闇の中に把握されえない仕方で光っている。そのことを自覚することこそが「知ある無知」。近寄りえないものに我々を近寄らせるのは我々の力ではなくて、神の力であることを知ることである。
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T:近寄りえないものに近寄ることができるのは神(仏)の力だというのは、仏教でもあるよ。浄土教の他力思想ととてもよく似ている。
S:[無限:有限]は考えられないように、[神:人間]は考えられない。だから、(神の)真理には有限な人間は到達することはできないということか。
S:無限が神なら、数は神ということになるよね。
S:自然数1,2,3,4,・・・∞は神だ。
T:自然数にはまだわからない性質がいろいろある。
S:無限なんてどう考えたらいいのかわからないよ。無限にどんな大きな数をたしても無限。無限を2倍しても無限。無限をどんな大きな数で割っても無限。・・・
T:その無限を数学の対象にして考えた人がいるんだ。彼は無限にもいろいろな無限があるということを調べた。自然数の無限と実数の無限は違うってね。
S:ガリレオは、偶数と自然数が同じ数だけあると言っていたよ。
S:その人は、神をわかろうと考えたんだね。


5、比例で考えると間違えることもある
     拡大しても縮小しても同じか 〜比例=相似のとらえ方〜

T:比を使って考えるのが私たちの認識だけど、比は間違いやすさも持っている。
      → 参考【ガリバーとぞうとねずみの話
例えば、地球を半径13センチにする。そうすると、まったく同じようになるのだろうか。
S:長さは比例する。面積は2乗に比例する。体積は3乗に比例する。
T:では、重さはどうなっているのだろうか?引力はどうなっているのだろうか?
地球の質量=5.97×10^24kg
地球の半径=6.37×10^6m。
地球儀     13                 1
長さ  637,000,000            49,000,000
面積              2,401,000,000,000,000
体積         117,649,000,000,000,000,000,000


質量は体積比に比例するから、5.97×10^24kg÷117,649,000,000,000,000,000,000=50.7kg
比重は、5.97×10^27g/(4/3×π×6.37×10^8cm3)=5.5168
これを半径13pに当てはめると、5.5168×4/3×π×133=50744g=50.74kg
S:この地球儀が50kgもするの。どうしてこんなに重いの。間違っているんじゃない。でも、比重から言っても正しいなぁ。
S:地球って以外に重いんだなあ。そういえば地球の中心は鉄でできているっていう話だよ。

T:では、引力はどうだろうか?
S:引力は質量に比例するでしょ。でも、この重さの引力なんてほとんどないに等しいよ。小さすぎる。

T:月の重力で確かめてみよう。
S:月の重力は、地球の1/6でしょ。これを長さと質量から求めることができるわけですね。
T:実際にやってみよう。
S:月の大きさ(半径)は地球の4分の1で、重さ(質量)は約100分の1です。
T:「万有引力の法則」=「物体同士が受ける力は、互いの質量に比例し、距離の2乗に反比例する
だから、月の「重力」は、月と私たちの間に働く引力で求まり、
  月の引力=G×(月の質量)×(物体の質量)÷(月の半径)2      (Gは定数)
したがって、地球の引力と比べると、月の質量は1/100で、月の半径=1/4だから、
  月の引力=地球×1/100÷(1/4)2=1×4×4/100×地球=0.16×地球≒1/6×地球
S:重さは100分の1なのに引力は6分の1になる。距離も関係するから単純に比例するとはかぎらない。

T:では、地球を13pにすると引力はどうなるか。
S:質量は体積に比例する。体積は長さの3乗に比例するから、引力は3乗に比例すると思います。
S:でもね、距離も小さくなるよ。距離は反比例するのだから…。
  引力=(質量×質量)/(長さ×長さ)=(長さ3×長さ3)/(長さ2)=長さ4
つまり、引力は長さの比の4乗に比例する。
S:引力は、小さくするとそのままの力の比にはならないんだ。
S:注意しなければならないのはそのままの比が成り立たないだけであって、やっぱり比を使っているよ。

T:小惑星イトカワの重力は地球の10万分の1というニュースを聞いたことがあるよ。
S:イトカワは縦276メートル、横312メートル、長さ548メートルのジャガイモのような形をした小惑星だから、体積は直径290mの円柱と考えて、0.15×0.15×3×0.5=0.029km3 ?? データによると体積は2.41 × 10-2 km3らしい。
S:地球との質量比は? ←【ken-ishiさんという方の推定】
S:えーっと??わかんない。

T:では、イトカワの写真にある大きな岩を持ち上げることはできますか。
S:例えば、この岩の重さを1000kg=1tとすると、この岩の重さがなんと1000000g÷100000=10gとなる。
S:じゃ簡単に持ち上げることができるんじゃない。
S:違うよ。重さは10万分の1だけど、質量は同じだから、これを動かそうと思うと地球上と同じだよ。
S:力=加速度×質量だからね。


6、ケプラー(1571〜1630)からニュートン(1642〜1727)へ
      〜万有引力の法則の発見も比を使って考えている〜


T:クザーヌスの『神は万物を数と重さと尺度にしたがって創造した』のであり、それゆえ『おのおののものは固有な数と重さと尺度をもって自存している。』という言葉どおり、ヨハネス・ケプラーは何年もかかって火星の観測データから、惑星の運動の法則を見つける。
S:ケプラーの法則って3つあったよね。
  (1)惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道をえがいて運動している。
  (2)惑星と太陽を結ぶ線分は、ある一定の時間の間には等しい面積を覆う。
  (3)惑星の公転周期をT、楕円軌道の長軸の半分の長さをaとすると、Tの2乗はaの3乗に比例する。
   [つまり、Tはaの3/2乗に比例する]
S:これを発見したケプラーは偉い。きっと何年もかかって計算したんだろうね。
T:次はニュートンだ。当時彼の手元にあった情報は、慣性の法則とケプラーの法則だけ。そこからどうやって万有引力を発見したのだろうか。彼は推理した。まず、太陽が火星を引っ張っているとしたら、どんな運動をするのかを数学的に表現できないか。
S:その引力を仮定すると、楕円運動が導き出せればいいわけですね。
T:ニュートンは楕円でやっているけど、ここでは円でやってみよう。まずニュートンは「ケプラーの法則は、物体が常に一定の中心に向かう力を受けて運動する場合に成り立つのではないか」という仮説を持った。この力にはどんな法則があるのだろうかと考えた。この力は物体と中心との距離が離れれば小さくなる。それは距離に逆比例しているのか、それとも距離の2乗に逆比例しているのかを調べたのだ。
右図の半径rの円周上を、速さvで円運動している物体(惑星)Mはその中心(太陽)Oに向かって引っ張られている。その力は加速度aである。(力=加速度×質量だから、ここでは惑星Mの質量を1とみなす。)もし、引力がなければMはMPへと直線運動をする。実際はaの引力によってPからSの位置に動く。ここで、
  △MPS∽△QPMだから、a:v=v:(a+2r)   (∠QMA=90°だから)
  v2=a(a+2r)=a・2r(a/2r+1)=2ar  (aはrと比べて十分小さいのでa/2r=0とみなせる)
惑星の公転周期をTとすると、T=2πr/v   (距離÷速さ=時間)
これを第3法則 r3/T2=k(一定)に代入する
  r3/(2πr/v)2=k
  r3=k(4π22/v2)
  v2=4kπ2/r      ここで v2=2ar を代入すると
  2ar=4kπ2/r
  a=2kπ2/r2      2kπ2 は定数なので、aはr2に逆比例する。
S:へー。こうやって、ニュートンは、引力は距離の2乗に反比例していることを発見したのか。
S:質量の方はどうやって考えたの?
T:惑星を上下半分に切ったら、どうなるのだろうと考えた。半分に切っても二つの惑星は同じ軌道を回るはず。もしそうでなかったら、惑星は分解する。ということは、半分になったら引力も半分の力になっている。つまり引力は質量に比例していると考えた。
S:ガリレオの落体の法則の思考実験と同じですね。
S:落ちるということは、中心に向かって引かれていると同じことだから、2倍の質量のものは2倍の力(重さが2倍)で引かれている。でないと、2倍の質量のものは2倍ゆっくりと落ちることになる。
S:ということは、ニュートンはガリレオの考えも使っているんですね。
T:中世のヨーロッパの神学は、論理的な考察をしていて、物事の第一原因を追究してそこから現象を説明しようとする傾向が強かった。でも、ケプラーは第一原因(何が引っ張っているのか)よりも、まず現象の法則を見つけ出すことに重点を置いた。
S:ケプラーはたった一人で計算機もないのにこの法則を見つけたんですね。
T:そして、ニュートンは、同じようにケプラーの法則から万有引力の法則を数学的に導き出した。さらに、この法則を使うと、たくさんのことがどんどん説明できることもわかってきた。第一原因ではなく「現象の数学的な法則」を見つけ出したことから近代の科学が始まったのだ。
S:法則を見つけることは、何かが比例していないか見つけることなんだな。


7、例えと理解

T:比例を拡張すると、アナロジーになる。普段私たちは、このアナロジー(例え)を説明に使っている。例えを説明に使うことをレトリックという。私たちが注意しなければならないことは、このレトリックがトリックになっていないかということだ。ここでは二つのレトリックを紹介しよう。

(1)「燕が水溜りのドロをとって巣づくりに励んでいる。一羽も遊んでいる燕はいない。人間は燕とは違うけど、一人ひとりが自分の仕事を責任をもって果たすことによって学級集団が完成していく。時々雛が落ちて死んでいる。私たちも落ちこぼしを作らないようにしたい。」

(2)水の三態のアナロジー・・・氷・水・水蒸気「三つのうち、どれになりたい?」「水蒸気。」「確かに一番自由だよな。なりたくないのは?」「氷。ずっと寒いところにいなきゃいけない。」「そうだね。ところで、固体が液体に、液体が気体に変わる時は、普段の何十倍、何百倍のエネルギーが必要ということを知っているかい。」「へー、そうなんだ。」「そして心の氷を解かすにも、ものすごいエネルギーがいります。人が成長して変わっていくって大変なんだ。」

ここにはレトリックとして例えが使ってある。これらの例えは妥当性があるのだろうか。説得力があるのだろうか。
S:このサイトもいくつかのレトリックを使っているけど・・・。

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