単元カリキュラムのつくり方
教材の構造と認識の深まり
1, 数学は理解を拡張したものである
「科学は観察の拡張であり、技術は制作の拡張であり、数学は理解を拡張したものである」
マイケル・ポランニー
この言葉は数学の本質を示しているように思う。
もちろん、数学にも観察や制作は必要だが、何より数学は理解(すること)を本質としている。
しかも「理解の拡張」なのだ。
素敵な言葉である。
私は、単元カリキュラムを作成する時、教科書教材の順番をあまり重視してこなかった。
それは、生徒がどのように理解するのかや生徒の実態の方が大切だと考えていたからだ。
そして、実際に生徒一人一人の「理解のしかた」は異なっている。
でも、そこ(理解すること)にも法則があると感じる。
例えば、理解することのトレーニングとしての数学も考えられる。
「わかった!」という体験がどれほど重要か。
「理解する」ことは「知る」ことではない。
「知った」後に出てくる「問い」、そしてその「問い」を確かめる中で出てくる「経験」なのだ。
2, 教材配列の原則
私の原則は次の3つである。
(1) 複雑から単純へ・・・法則を見つける
(2) 部分から全体へ・・・法則を応用する
(3) 指導課程・・・多様な意見を統合する(個から全体へ、全体から個へ)
(1)は「現象から本質へ」と言い換えても良い。法則とは意味のこと。意味がつかめないと世界は見えない。
(2)は「本質から現象へ」と言い換えても良い。法則を適用するから法則の意味が広がってゆく。これは、世界が拡がって行く事にあたる。
(3)は「授業課程」と言い換えても良い。教室では様々な考えが多様に出るから意味がせりあがってくるのであり、その意味相互の関連をつけることは意味をより深める。
また、「学び」は意味を見い出す体験であり、その体験は「対話」によってこそなされる。
そして、意味が「理解」できれば、生徒たちは自分から学びだすものなのだ。
3, 単元指導計画
具体的な単元計画の例である。
ちょっと古いけど、手書きで懐かしい感じがする。
授業が終わると手直しをして、何度も書き換えたものだ。
そして、このサイトに書き留めた経験の具体的実践である。
限られた時間の中で「要するに」ではなく「そういえば」を積み重ねた具体例である。
このフォーマットは科教協の「のぼりおり」から多大な影響を受けている。
そして武谷の認識の三段階(現象論・実体論・本質論)を数学にアレンジしたものだ。
いずれもPDFファイル
【1年 正の数・負の数】
【1年 変化と対応】
【2年 式の計算】
【2年 連立方程式】
【2年 一次関数】
【2年 不等式】
【2年 図形の性質の見つけ方】
【2年 図形の性質と証明】
【2年 図形と相似】
【2年 確率】
【3年 式の計算】
【3年 展開・因数分解】
【3年 平方根】
【3年 二次方程式】
【3年 関数とグラフ】
【3年 円の性質】
【3年 ピタゴラスの定理】
【3年 ピタゴラスの定理の生徒によるまとめ】
【3年 統計】
【3年間の図形のまとめ】
参考 【問いと認識のふかまり】
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