差別と多様性と同一化
違いの話…醜いアヒルの仔の定理から分かること
なぜ私たちは差別をするのでしょうか。逆に、毎日変わっている自分自身を同じものと思っているのでしょうか。差別は違いを認めることから出てきます。逆に数学は違ったものの間に同じ構造を見いだします。これは、自己同一性とよく似ています。
ここでは、差異性と類似性を「醜いアヒルの仔の定理」から考えてみたいと思います。
1、同じモノなのに違う
ここに百円玉が2枚あります。
百円玉はどの百円玉でも同じように使えます。使えなかったらそれは偽物です。だから、私たちはどの百円玉でも同じものと思っています。
ところが、この2枚の百円玉をよく見ると、違いが見つかります。製造年号も違います。傷がついているところも違います。重さだって細かく測れば違うはずです。とすると、同じものにも差異があるということになります。
でも、私たちはどんな百円玉でも同じものと考えて買い物をします。違いを考えていたら安心して買い物なんかできません。私たちの脳には、違うものなのに同じものとみなす働きがあるようです。
では、次のモノは違うものでしょうか?
2、違うものなのに同じ(ところがある)
A.ガラスのコップ B.金属のコップ C.紙コップ D.紙で折ったコップ
ここにあるのは、コップです。これらは同じモノと思えますか?
これらは材質も、形も、重さも違います。水を入れて熱してみるとさらに違いが出てきます。ところが、こんなに材質が違うのに、同じもの(コップ)と考えてしまいます。
液体を入れる「コップ」の働きをするという意味では同じものなのです。どうやら、私たちの脳には、これらのまったく違ったものを同じものとみなしてしまう機能があるようなのです。…【同一性の原理】
私たちは日々変化しています。細胞を構成する原子も違うし、脳も日々変化しています。だから、もし自己同一性がないと、朝起きたときに自分自身を違うものだと認識してしまうことになります。そうすると大変です。違うものを同じものとみなすことは、私たちの生存にとって大事なことなのでしょう。
この違うモノを同じモノと考える「ちから」は、世界の多種多様な生き物たちが同じ生き物から進化したということを発見します。科学は、違うモノの間に同一性を発見することと言えます。
では、違うモノの間に類似点はどれくらいあるのでしょうか。
3、モノとモノの間には、違いも同じ点も同じだけある
あるモノとあるモノは、類似点の数だけで似ているか似ていないかを決めることはできないということが証明されています。…【醜いアヒルの仔の定理】
つまり、まったく違うものと思われるモノの間にも類似点はいくらでも見つけることができるのです。
例えば、「この魚」と「ここにある木の椅子」の間にどれくらい類似点があるのでしょうか。
同じ家の中にある。もとは生きていた。私が持っている。人の役に立つ。…
これくらいしかないと思ってしまいます。でも、見方を変えると、意外な類似点が出てきます。
この二つは金属ではない。コップではない。人間ではない。アヒルではない。・・・という点において同じなのです。
とすると、どんなに異なるように思えるモノの間にも、類似点を見つけることができることになります。
4、異なるモノなのに構造が同じ
数学は、違うものの中に同一性を見つけることを重視します。これができる人は数学の得意な人です。
下の図は一見違うモノのように見えますが、全て2×3=6を表しています。
Aは面積、Bは交点の数、Cはさくらんぼの数、Dは左から右へ行く道順の数、Eは樹形図の枝の数。これらは全て2×3です。
この場合の同一性は、今までの例と比べると認識するのがやや困難です。それは、性質というよりは構造を問題にしているからです。形や性質だけでなく「働き」をも認識の対象にする点は、さっきのコップと同じことです。
5、差別と多様性と同一性
これまで、違うモノの中に類似性や同一性を見いだすことが、数学では重要であると説明してきました。ところが、私たちは同じ人間なのに差別をすることがあります。黒人と白人を差別したり、男女差別や学歴差別などをするのです。違うものを同じとみなせる「ちから」を持っているのに、同じものを違うとみなすこともしてしまうのです。同じモノの中に差異を見つけ出してしまうのです。
これは、どうして起こるのでしょうか。
「醜いアヒルの仔の定理」から言うと、差異と類似点は同じだけあることになります。ですから、私たちには、さっきの百円玉のように、同じものなのに差異を見つけることができてしまうのです。(これは私たちの煩悩と言ってもいいかもしれません。)
もちろん、その差異が値打ちのあるものであるのかどうかはしっかりと考えなくてはいけません。傷があろうと無かろうとも百円玉の値打ちには変わりは無いのです。逆に差異化は多様性を生み出します。そして、「みんなちがってみんないい。」
ところで、私たちは、『違うモノを同じモノと見ているのか』、『同じモノを違うモノと見ているのか』、どちらなのでしょう。
多様性は進化の働きです。私たちが、多様性の中で生きていると実感できるのは、同一性が一方にあるからのように感じます。
先日、新聞を読んでいたら、ラーメンとキツネザルが同じであるということを発見した人がいました。ラーメンは中国大陸から伝わり、日本で独自に発展してきました。一方、キツネザルはアフリカ大陸から渡り、マダガスカルで独自に進化したてきたのです。ラーメンも日本で多様に進化してきました。キツネザルもマダガスカルに30種類ぐらいいるそうです。どうでしょうか。同じですよね。そして、この同一性からお互いを考察することもできるのです。多様性を認めた中で同一性を見つけるからこそ、面白いのではないでしょうか。
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