解き方よりも問題自体を大切にすること


50年前新任のときに一年生の子が私の教室に「お手紙です」と持ってきたことをありありと思い出すことができる。
その同僚からの手紙を退職した今もまだ持っている。
その手紙は私を苦しませるものだったので、当時真正面から受け取ることができなかったが、その後の私はこの手紙の課題を追求し続けてきた。

 

1.50年前の手紙
「上村先生、授業見せていただいてありがとうございました。いろいろ参考になりました。
 気づいたこと・質問等書かせていただきます。

たった二十分程しか見てませんので、導入との関連で考えられないのであしからず・・・。

発問が一問一答的なものであり、子どもたちに「解き方」その他系統的に入らないのではないでしょうか。

熊崎先生は応用問題に関して「解くこと」「正しい解答をすること」に意義があるのでなく、問題そのものを自分のものにさせることを重視しておられました。

問題を読ませたあと、本をふせさせ、わざとまちがった問題を書いて問いかけられる方法に、

当初私は「算数の問題にわざわざこういうことをする必要があるのだろうか」と思いました。

でも、その後いく通りもの解き方を言わせ黒板に羅列して、ひとつひとつの正誤を見ていく中で、問題そのものが生徒の中に入りきっていくのを感じました。

応用問題を「問題」とその「解き方」の両者を体得させることは、まさに他の応用問題にも応用できる利点があることを感じました。

で、上村先生の授業を見て、応用問題をわざと計算問題として扱ってしまっているような危険性を感じた次第です。

解く式を言っている時、子どもたちには・・・。」

 熊崎先生というのは尊敬する先輩のベテランの先生で、この手紙は私の自尊心を砕くものだったから、繰り返して読むことはできなかった。
だから解き方よりも問題自体が大切と気がつきそれを「課題化」と定式化できたのははるか後のことだった。

この当時、どんな授業をしていたのか全く覚えがない。

でもこう考えていたのだろうと予想できる。
それは、問題をどう解くかが大事で、その解き方を教えれば子どもたちは解く力を身につけることができると思っていた。
問題の解き方の方に重点を置いていた。でも、問題はいろいろあり、どの問題にどういう解き方をすればいいのかわからなくなる。
そして、そもそもその問題を見て解きたいと思う意欲が出てくるのだろうか。

 この手紙の友人は、私の授業とは全く異なる熊崎先生の授業を見て、
「問題自体を子どものものにすれば、子どもたちは自分自身の知恵を発揮して意欲的に取り組もうとする授業があることを知った。
もちろん間違えることもあるけどそれはクラスのみんなの知恵で克服される。
こちらの方がより応用範囲が広いのではないか。
他の応用問題にも応用できる本道ではないか」そう語っているのである。
そして、このことは「課題化」よりももっと大切なことを示している。
それは「問題化」ということ。50年経ってやっと自分の問題にできた。

「私の回り道」〜「教育の情報化」と「数学の人間化」 ppファイル


2.学びは「わからない」ことから出発する


中日新聞1月17日に出ていた岡崎勝さんの記事「子どもってワケわからん」が面白かった。

学ぶということは『わからない』ことから出発するのが基本です」
分からないから「わかりたい」「面白そうだ」と好奇心を持つ。でも大抵はあきらめてしまう。
だから「そういう子どもの好奇心をどうやって見つけ、拾うのかが大切
まさにその通り。
では、問題ができずに泣いている子にどう声をかけるか。
一生懸命に頑張ったのに、どうして間違えちゃったんだろう?どこで間違っちゃったか一緒に探してみよう
これは子どもだったらうれしい。
分からなかったこと、わからなかったところが分かるようになるから賢くなれるんだよ
これなんか勇気を与える言葉だ。

先に書いた「課題化」は「授業の中で子どもたちが自分の課題をつくること」で、
「問題化」は「あることに疑問を持ったり、なぜと考えたりしたことを興味を持って自分の問題にすること」。
例えば、「問題」は、誰かに質問する、調べる、相談する、考える・・・というように学びが広がる。
自分自身の問題とする」というのが上の例だと思う。
自分自身の問題となってこそそこから得るものも大きくなる。

夜、教え子から電話があり2時間半も語り合った。
「何が分からないかが、分からない」のが人生だ。
授業案の二つの作り方(コンテキストとコンテンツ) 

3.授業のスキルとして
 問題を読ませたあと、本をふせさせ、わざとまちがった問題を書いて問いかけられる方法
を用いた授業は昔から伝えられてきたもので、「出された問題を自分のものにするスキル」として現代でも活かせると思う。
このような授業の技術があったことを忘れてはいけない。
「学び」とは考える方法を身につけること 

4.和算の学び方
 和算では解けた時の喜びを体験させることが大切にされた。
問題を自分で解く喜びを体験させれば、後は自分で問題を見つけて解いていくからだ。
だから必然的に問題の方が大切にされ、新しい問題をつくり出し、遺題継承として問題が引き継がれていった。
エウレカ体験と暗黙知のトレーニング ・・・「武士の家計簿」 おばば様のお題

5.問題を課題化する試み
 私は授業の導入の時に解き方にはどんな方法が考えられるかを交流させるようにしていた。
そして、どの方法で考えてみるのか選ばせてから取り組ませる。
問題だけでなく解き方も大事にするというのが私の「多チャンネル授業」である。
多チャンネル授業による課題化 ・・・考える方法を身につけるために

6.「分からない」が分かること
 ソクラテスの「無知の知」や孔子の「知らざるを知らずと為す。是知るなり」を例にあげるまでもなく、これこそが私たちとれる唯一の態度だと思う。
ちなみに現役の時、「先生(考えるのが面倒だから・時間が勿体無いから)早く答えを教えてよ」と言う生徒がいた。
今は分からなければすぐにネットで調べることができる。タイパやコスパがもっと進んでいるのではないかと心配する。
ちなみに「億劫(おっくう)」は限りない時間がかかることで短い時間ではない。五劫思惟なのだから。
学んで時にこれを習う=学習

7.なぜ問題が解き方よりも大事なのか?

@問題は現実により近いし、具体的な現象を扱っているのでイメージしやすい。
A問題をつくることは現象の中に法則を発見することで、問題=仮説⇨定理となる。
Bその問題(定理)を見た人が新たな問題(定理)をつくりだす。
C実際に江戸時代の和算は遺題継承として問題を出して、それを解き、
 新たな問題を見つけ出すことで発展してきた。
Dところが今は効率を求めたり、テスト対策のため、解き方の方が重視される。
 そして、コスパやタイパが求められるため、問題を作り出すゆとりがない。
E問題をつくることこそ数学嫌いをなくす方法である。
 具体的には問題つかみ・問題づくり(定理発見)・問題発表(算額
総合学習をめざして〜教科書を批判的に読む 『Whyのない算数の問題』

8.図でまとめる

 

 

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