【1週間は何故7日か】 暦の数学
   問題1
 暦は、日をこまかくよむという事からつけられた名前です。日本で、現在の暦(グレゴリオ暦)が使われるようになったのは、明治6年(1873年)からですが、それまでは、1ヵ月を、10日ずつに分け、上旬、中旬、下旬と三つに分けていました。現在の暦では、週に分けています。さて、一週間が七日なのは、何故でしょう。次の中から選んでください。

ア.神様が世界を作った時、六日間で全てのものを創り終え、7日目に休んだから。(ユダヤ教から)
イ.新月から半月まで、半月から満月まで、満月から半月まで、半月から新月までをそれぞれ1週とし四週を決めたから。
ウ.太陽と月と、火星、水星、木星、金星、土星の惑星があるから。
エ.ラッキーセブンだから。

       
 アやウはユダヤ教から出てきたキリスト教(北欧神話も加わって)の影響ですね。ただ、その考えが生まれたのはイだったからです。ラッキーセブンもそこから出てきたんじゃないかな。今のようなカレンダーがなかった当時、月を見て1ヵ月のどれくらいかを判断していたのでしょう。だから、半月を基準とすると、月は29.5日で満ちかけするから、29.5÷4=7.375 となり、1週間を7日にするのが合理的であることがわかるね。

 ちなみに香港では、曜日が日,一,二,三,四,五,六となっている。日本の日,月,火,水,木,金,土はグレゴリオ暦(キリスト教が広まったローマ時代に作られた)の七曜をそのまま訳したもの。東洋は干支五行。
---曜日は中国から来たと思っていた。ちがったのか。
---サンデーは日、マンデーは月はわかるけどチューズデーは・・・・
---江戸時代には日曜日はなかったのか。

問題2
 1回転を360度としたのは、メソポタミアのバビロニア人達でした。(B.C.1000年)彼等のこのすばらしい発明は現在でも使われていますが、彼等はなぜ1回転を360度にしたのでしょうか。

ア.60秒で1分、60分で1時間というように時間は60進法になっている。だから、60の6倍で360度となる。
イ.1年が365日だから。
ウ.地球が1日で太陽の周りを回転する角度を1度としたから。
エ.たまたま360度としただけ。

---昔の人は一年が365日だということが、正確にはわからなかったんじゃないかな。
---だから、だいたい360にしたのか。
その方が、アのように便利な点もある。その結果として、ウになったわけだ。

問題3
 1年
が12ヵ月なのは、なぜでしょう。


 
ア.月が1年でだいたい12回満ちかけするから。
イ.360÷30=12だから。
ウ.12は割りきれやすい数だから。
エ.十二支…子丑寅卯辰巳申未酉戌亥から。
オ.太陽は一年に天秤座、お羊座、雄牛座、双子座、さそり座、射手座…などの十二の星座を動くから。

---何といっても、「ひとつき」とか、1ヵ月というくらいだから、月をさし示している。アの結果、東洋ではエになり、西洋ではオが生まれた。

質問
 1日のことを「ついたち」と言うのはなぜでしょう。

月立ち「つきだち」が「ついたち」になった。つまり、新月のこと。

質問
 満月のことを十五夜というのはなぜでしょう。

満月は朔日(ついたち)から15日目にあたるんだ。

質問
 三日月、大みそか(12月31日)の語源は。

旧暦には、31日はなかったんだ。12月30日で一年の終りさ。みそかとは三十日のこと。今日は3日というのは月(三日目の月)を見ればわかる。
 
問題
 エラトステネスは地球の大きさを始めて測定した人です。彼は、
 (1) 地球は球である。
 (2) 太陽の光は平行である。(太陽はずっと遠くにある。)
 という二つの仮説をたてました。
 では、どうして彼は地球が球であるとわかったのでしょうか。

ア.海岸に立って海を見ると、水平線が曲って見えるから。
イ.月食からわかった。
ウ.宇宙人から聞いた。
エ.勘で仮説をたてた。
オ.地球を一周したら、元へ戻ったから。

ユークリッドのところでやりましたね。正解はイです。

問題5
 太陽
の光は平行である。(太陽はずっと遠くにある。)という事は、どうしてわかったのでしょうか。

ア.自分がいくら動いても、太陽はついてくるように見えるから。
イ.太陽はずっと大きいから。
ウ.勘
エ.太陽までと月までの距離を比べると、太陽の方がずっと遠くにあるから。

正解はエです。エラトステネスは月と太陽と地球を結ぶ壮大な直角三角形を作って調べたんだ。
ユークリッドの世界へ

問題6
 年賀状
には、迎春とか賀春とか書きます。1月1日は冬の真っ最中なのになぜ春と書くのでしょうか。

ア.もうじき春がくるから。
イ.昔は、正月は春にあったから。
ウ.町では、正月でも春の感じがするから。
エ.単なる習慣から。

旧正月は2月の15日頃。今の正月は冬のまっただ中だけれど、昔の正月は春が始まる日だったんだ。

問題7
 1年の始まりを元旦といい、太陽が地平線を昇る姿を表わしています。一番始めの旦だから元旦と書くわけです。昔、エジプトではシリウスが朝日と同時に昇る日を1月1日と決めていたそうです。(現在の7月頃が古代エジプトの元旦だったわけです。)
では、現在の1月1日はどうやって決めたのでしょうか。

ア.クリスマスの一週間後を元旦にした。
イ.一年で最も寒い日を元旦にした。
ウ.立春と冬至の中間の日を元旦にした。
エ.キリストの割礼の日を元旦にした。
オ.適当に決めた。

考えられるのはウなんですが、ヨーロッパではキリスト教の信仰と結びついたんですね。

質問
 昔、インドでは夏至の日を(6月21日頃)元旦にしたそうです。なぜでしょうか

インドは暑い。暑いと人々はぐったりする。この日からだんだん涼しくなって生き返る。
 
質問
 中国や日本では、立春の日(2月4日頃)の前で一番近い新月の日を元旦にしていました。なぜでしょうか
 
春は何と言っても、生まれ変わる出発の日にふさわしいね。最もこれは北半球の四季のある地方に限るけど。しかも、1年は春(1,2,3月)夏(4,5,6月)秋(7,8,9月)冬(10,11,12月)とすっきり。今は冬が11,12,1月と年をまたいでしまう。

質問
 ヨーロッパでは、冬至の日(12月22日頃)を元旦にしていました。なぜでしょうか。

最近は日本でもクリスマスを祝うけれど、本来の意味は何だか知っている?
---キリストの誕生日でしょう。
それもあるけど、もともとは寒さの厳しいヨーロッパの人達が、冬至を境として日が段々と長くなっていくことから、新しい生命の誕生=復活を祝ったのが始まり。それがキリストの誕生日と結びついたのさ。

質問
 江戸時代の1日はいつから始まるのか。

ア、午前0時から。 イ、太陽が昇るときから。 ウ、丑三つ時から。

---時計のない時に午前0時なんてわからないよ。だから、イだろ。
---それに、旦というのは日が地平線から昇るという意味だから。
---でも、シンデレラの時計は午前0時になったのよ。江戸時代だって時計はあったんだからもちろん午前0時よ。
---初夢は1月2日の夜見る夢だというよ。元旦の夢は、太陽が昇る前だから去年なんだ。
---では、どうして夜の午前0時が一日の始まりになったの?
---だいたい日の出は一定ではないよ。季節によって違うよ。
---季節によって違うから良いんじゃないか。春の一日は長く、秋の夜は長い。これが自然と共に生きた日本人の生活さ。

問題8
 現在、お盆は8月の14、15、16日となっています。旧暦では7月15日が盆でした。なぜ15日が盆なのでしょうか。

ア.15日は必ず満月なので、盆踊りをするのに都合が良い。
イ.8月15日ごろが一番暑いから。
ウ.夏休みの真ん中だから。
エ.8月15日は終戦記念日だから。
オ.先祖の供養をするのに都合の良い日だから。

S:質問。7月15日がお盆だったのに、どうして8月15日になったのですか。
T:それは後で述べる新暦のせいですよ。旧暦の7月は今の8月頃。旧暦の7月の行事を新暦の七月にやると、梅雨の最中。梅雨も終わり、農作業もひと段落した(新暦)8月こそ七夕(ナナハタ→たなばた)やお盆(盂蘭盆会)にふさわしいからです。他の行事は旧暦のままの月(1ヶ月早い)に行っているけど、お盆だけは旧暦にあった月に直したのです。3月3日の「桃の節句」は早過ぎるもんね。「五月晴れ」も、もとは梅雨の間の晴れ間のことだそうだよ。

問題9
 現在の暦をグレゴリウス暦といい、ローマ時代の科学的遺産の1つですが、昔から暦は支配者にとって大事なことで、支配者が代るたびに元旦が代った時代も有ったくらいでした。
 支配者にとって、なぜ暦が大事なものだったのでしょうか
 
ア.政治は、昔からまつりごとと言って、祭や儀式をやることだったので、それをやる日を決めるために暦は大事だった。 
イ.被支配者に、○月○日に〜せよと命令するため。
ウ.農業の種まき、刈入れ、家畜の世話をおこなうために必要だった。
エ.来年の計画を立てるため。
オ.日食や月食を予言して、人民を驚かせ尊敬させて従わせるため。
カ.暦を複雑にして、人民を政府に頼らざるを得なくするため。

問題10
 1月=29.5日  1年=365.24日
日本が今の暦になったのは、明治6年からでした。明治5年までは旧暦と言って大陰太陽暦を使っていました。(大陰とは月のこと、太陽とはSUNのこと)
 昔、エジプトを除く東洋民族は、どこでも月を基準として暦を作っていました。月は29.5日で満ちかけします。だから、1月を30日と29日にわけて、12ヵ月をもって1年とすると29.5日/月×12月=354日となりますが、これでは365日−354日=11日足りません。
そこで19年間に7ヵ月余計にさしはさみ、3年に1回(11×3=33)1年が13ヵ月ある年を作りました。(そういう13ヵ月目を「うるう12月」と言います。)
29.5×(12×19+7)=365.24×19
これを大陰太陽暦といい、日本、中国、朝鮮、ギリシャなどで使われていました。
さて、昔の人はなぜ月に合せて暦を作ったのでしょうか。
自分で理由をいくつか考えてみましょう。 

---月は曇でない限り、見えるでしょう。月を見れば、何日かわかるから便利。
---海の民族は、潮の満ち引きが大切。月は潮の満ち引きと関係する。
 
問題11
 暦は月で数えるのが一番わかりやすいのですが、月に合せた暦では、一年の季節との食違いがどうしてもでてきます。しかし、イスラム教(ユダヤ教)の世界では大陰暦を使い、金曜日を休日にしています。昔は、一年を304日(ローマ時代)としたり、360日としたりしていて、1年が365.2422日であることを調べるのにずいぶん苦労したようです。
 では、エジプトではわかりやすい月で暦を数えることをやめて、早くから(BC.4241年から)太陽暦に移ったのはなぜでしょうか

ヒント
(エジプトの暦は、1年を30日ずつの4ヵ月で3季に分け、1年の終りに5日をつける。)

ア.天文学が進歩していたから。
イ.ナイル川の洪水を予測するため。
ウ.太陽に対する特別の信仰があったから。
エ.農業が発達していて、収穫を豊かにするため、1年の季節を知る必要があったから。

問題12 
 明治6年から、政府は旧暦から新暦に変えることを始めました。ところで、政府はこんなにも季節に合い、便利でもある大陰太陽暦を、なぜ変えてしまったのでしょうか。
当時、反対も相当多かったようです。
 
ア.ヨーロッパのことを何でもまねするため。
イ.ヨーロッパの暦(太陽暦)の方が科学的だと思ったから。
ウ.先進国(西洋)に合せないと、外交や商業ができないから。
エ.徳川幕府から明治政府になったことを人民に知らせるため。
オ.6月6日といえば、ちょうど去年のその日と同じ時候になるから。
カ.明治5年がうるうの12月だったので、ひと月を無くすことによって月給を払わなくてもよくなるから。
 

 支配者のねらいは一つとは限らない。正解も一つとは限らない。

 実はこれが、日本における(欧米スタンダード導入の)グローバリゼイションの最初のもの。(中国スタンダードの導入は、数の数え方・暦・律令制などすでにあった。)月の時間(東洋のローカルタイム)を太陽の時間(西洋のローカルタイム→ワールドタイム)へ。
 そして、この時もう一つの重要な時間が導入された。それは、それまでの不定時制から24時間定時制への移行であった。これによって、一日の始まりが「日の出」から午前0時になった。学校では一斉授業が導入され、寺小屋では「遅刻」というものはなかったが、学校では「遅刻」は罪とされるようになった。そして、日本は近代化への道をひたすら走っていく。
 ちなみに暦でいうと、三大スタンダードは太陽暦(グレゴリオ暦など西洋)・太陰太陽暦(天保暦など東洋)・太陰暦(イスラム暦)である。

質問
 『ねがはくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの もち月の頃』
                           西行 山家集
この有名な和歌を読んでみましょう。
「花」とは何の花?彼はこの花が大好きでした。(      )
「きさらぎ」とは「如月」ですが何月でしょうか。(      )
「望月」とは何でしょうか。(      ) 「望月の頃」とは何日の事でしょうか。(     )

ちなみに2月15日は日本ではお釈迦様のなくなった日といわれています。この歌は現在の暦の月ではおかしいことが出てきます。どうしてこうなったのか考えてみてください。

(参考文献 『改暦弁』福沢諭吉著、『授業を楽しくする数学の話』片野善一郎著、『遅刻の誕生』橋本毅彦・栗山茂久編著・三元社)、『シンデレラの時計』角山榮著・ポプラ社

目次へ