絵と数学 ―遠近法は世界をどう変えたのか―
S:絵も数学と関係があるの?
T:「ルネサンス」という言葉を聞いたことない。
S:歴史でやったよ。レオナルド・ダ・ビンチ(1452〜1519)とかミケランジェロ(1475〜1564)とか有名な画家がいた。確か意味は文芸復興だったかな。
T:ルネサンスとは、14〜16世紀にイタリアで展開された、思想・芸術・学問など文化活動の総称なんだ。
S:600年前のイタリアか。日本では室町時代か。
T:そのルネサンスのダ・ビンチ達の描いた絵と、それまでの絵がどう違うのかが今回のテーマです。
T:この絵は何に見える?
S:どこまでも続く線路。上の横の線は水平線。
T:つまりずっと広がる地平が表わされているんだね。こういう図を透視図法といって、ルネサンスから始まった描き方です。
S:遠近法は美術でならったよ。へー、ルネサンスまではなかったんですか。
S:じゃあ、それまでは遠近はどうやって描いていたのだろう?
T:それはまた後でやるよ。ところで問題。この絵の下の方はどうなっている?
S:この線路の続きを描けということ?
T:そうです。 ・・・・・・・・・・ かけたかな。ちょっと説明してみて。
S:(2)はおかしいと思います。このまま無限に広がっていくんですか。
S:前の絵をそのまま描けばこうなるよ。(3)こそどうして平行になるの?
S:だって、本当の線路は平行だろう。
S:(4)は自分の後ろの線路を見ると、前と同じように見えるはずだから。
S:(4)で急に折れるのはおかしいから、(5)のように曲がって見えるはずだと思った。
S:なんだかみんなの意見を聞いていたら、わからなくなった。どれが正解なの?
T:これを考えるためには、透視図法はどうやって描かれたのかを知らなくてはならない。
S:水平線を描いて、一点から放射状に線を引けば良いんじゃない。
T:それは後から発見された描き方なんだ。透視図法の原理が発見されてから、簡単な描き方が工夫されたんだ。だって、ルネサンスまではこういう描き方は発見されていないんだから。さて、この透視図法の原理はどうやって発見されたのだろうか考えてみよう。
T:それを示す版画があるんです。これはドイツの画家デューラー(1471〜1528)の版画です。
S:描くものをひもで結んで描いている。
S:枠の中に紙があって点をとっている。
S:きっと、見たとおりに描こうとしたんだな。
S:面倒なことをしていたんだなぁ。
T:透視図法はまとめると、二つの操作によって描かれている。一つは、一点から実物を見ること(線を結ぶこと)。これを「射影」という。もう一つは、描くものと一点を結んだ線を点として紙に描くこと。これを、射影したものを平面(紙)で「切断」するという。つまり、「射影」と「切断」なんだ。このとき切断した平面に描かれるのが透視図なんだ。
S:さっきの平行な線路を一点(視点)から見て平面の紙に描くと、線路は一点に集中して消えるんだ。
T:この消える点を消失点といいます。
S:向こうに集中している一点(消失点)の前に、こちらに片目で見ている一点(射影の中心)があるということですね。
S:そうか。デューラーの版画のように描くのが大変なので、一点(消失点)から放射状に線を引いて描くようになったんだ。
T:そうです。ルネサンスの画家たちは、一点(消失点)から描いた後にその点に穴をあけて、裏から鏡に写して出来映えを見たそうですよ。
S:それが一点透視図法の本当の見方なんですね。
T:さて、さっきの問題をこの原理で考えてみよう。問題のポイントはどういう平面で「切断」するのかということだ。
S:そうか。地面に対して切断する平面がどんな角度かで違う。
S:平面だけでなく曲面で切断するというのだって考えられるよ。
S:(3)は平面aが地面に接すると、その後に紙を下に置いて描けば平行になる。
S:(4)は紙(平面a)を\/こう置けば良いんだ。
S:(2)は大きな紙で切断したもの。平面を延長すればいい。
S:あれ?私たちは大きな1枚の紙で切断しているのでなく、小さな紙を円筒のようにしていない?
T:良い事に気がついたね。私たちは/ ̄\このように紙を目から等距離に置いて描いている。でないと端っこの方に描かれたものは大きくなってしまう。この等距離にある紙をつないで連続させれば、曲面になり、(5)のように曲がって見えるんだ。そのことに気がついたエッシャーは、このスケッチを描いている。
S:エッシャーは曲面で切断したんですね。
T:カメラは目をモデルにして作られたけど、違うのは像を写すところが平面ということだ。目は曲面だから写っている像は違う。
S:じゃ、U字型にフィルムを置いたカメラを作ったら、どう写るんだろう。エッシャーの絵のように写るのかなぁ。
【ジオジェブラによる3点透視図法の描き方】
『エイムズの部屋』
S:先生、その箱は何ですか?
T:さっきルネサンスの画家が、消失点に穴をあけて見たといったね。ここに覗き穴があるので、見てください。
S:人が二人いて、右の人がかなり大きい。
T:上から覗いてみて。エイムズの部屋の動画
S:あれ?人形は同じ大きさだ。
S:どうして?
T:これはエイムズという人が考えた遠近法を利用した錯覚の部屋なんだ。(部屋の作りはいびつなのに、覗き穴から見ると正方形の部屋に見える。)
これは、この覗き穴が消失点なんだ。本当は、下のようになっているんだけれど、上の様に見えるんだ。きっと消失点(キリストの額)から見たダ・ビンチの「最後の晩餐」は迫力があると思うよ。
S:上から見ると平行四辺形のタイルなのに、覗き穴から見ると正方形のタイルに見える。じゃぁ、どんな四角形でも見る位置によっては正方形に見えるのかな。
【「世界まる見え」のセットの画像】テレビカメラはのぞき穴だ!?
T:さて、この透視図法によって、ヨーロッパの人たちの外界を見る目が変わってくる。それは、外界を空間として認識しだしたことだ。それまで、空間という概念ははっきりしていなかった。この図法によって、ものが空間の中に位置付けられるようになった。つまり、空間を「入れ物」と考えるようになったんだね。そして、その空間は無限の広さを持っていると考えるようになった。かくて人間は無限の空間(宇宙)を手に入れた。
S:それで科学が発展したわけか。
T:ところが、空間を作ったということは、人間は物質世界(空間)に閉じ込められたともいえるんだ。ものが空間の中に位置付けられるということは、それを見る我々の視点も空間の中にあるという事だからね。そして、我々は巨大な「入れ物」=「空間」の中に閉じ込められて動いているだけ。でも空間は「入れ物」じゃないよ。
S:入れ物じゃなかったら、何なの?
T:生活空間(家)といった時、それは何もない「入れ物」なの?
S:いろんなモノやコトがある。それだけじゃないよ。家族がいなければ生活空間じゃない。
T:家族なんかは関係だろ。空間は関係とも言えるんだ。
S:そういえば、RPGの「ゲーム空間」というと世界地図だけでなくストーリー全体もさしている。
S:日本では透視図法による遠近法は発見されなかったんですか?
T:日本に透視図法を伝えたのはザビエル(宣教師達)と言われている。浮世絵にも透視図法で描かれたものもある。でも、遠近法は透視図法だけではなくていろいろあるんだ。
T:日本(東洋)では遠くのものが大きくなるという、透視図法の逆の描き方まであるんだよ。例えば京都博物館の『法然上人絵伝』を見てください。
【京都国立博物館】リンク 『祇園祭礼図屏風』 『法然上人絵伝』を探して下さい。
S:どうしてこんな描き方をしたんですか?
T:『祇園祭』の絵は、京都の町を斜め上から描いている。この時に、透視図法を使うとどうなりますか。
S:遠くの方ほど小さくなります。でも、この絵の道はずっと平行に描いてある。
T:この絵は遠くの方も前の方と同じように描いてある。しかも、不自然ではないでしょう。時々雲なんかを使って省略までしてある。つまり、視点を移動させているんだ。ヘリコプターに乗ってカメラを動かしながら見るのと同じこと。これくらい大きな絵になると、私達はヘリでそれぞれの所へ行って見る。
S:『法然上人絵伝』(下の方の絵)のこの部屋は何だか変だなぁ。
T:これは逆遠近法といわれ、遠くに行くにしたがって広がっているんです。
S:そう言えば、手前の人よりも奥の人の方が大きく描いてある。
T:見ていて不自然には感じないでしょう。これは、奥にいる人が重要な人の場合に使う手法です。作中の主人公から見ると、手前の方の人物は小さく見えるからですよ。私たちがこの絵の中に入って、主人公になるんです。
S:へー、こんな描き方は日本だけですか。
T:いや、中世のヨーロッパや中国、朝鮮の絵にも同じような描き方がしてあるものがあるよ。つまり、空間のとらえ方が違うんだな。ところが透視図法が出てきてから、こういった描き方は不合理であると考えられたんじゃないかな。
S:前に平行な線は決して交わらないということを習ったんですが、どうして平行な線が消失点で交わるんですか。
T:良いところに気がつきましたね。ルネサンスの画家たちは、建物をデューラーの版画のように描いてみて、平行な線が狭くなることに気がついた。とするとその線を延長すれば必ず交わるはず。そこから消失点が発見されたんじゃないかな。
S:描いてみてわかったわけか。
T:フランスの建築家デザルグ(1593〜1662)は今君が考えたように、切断された平面では平行線も消失点で交わるところが気になった。そして、射影で切断された空間(平面)では平行に見えていても、それを射影すれば交わっていると考えても良いのではとひらめいた。
さらに現実の空間でも、平行線は交わっていると考えた方が合理的であると考え、その交わる点を「無限遠点」と名付けた。そして、透視図法を詳しく研究して新しい幾何学を創り出した。それを「射影幾何学」と言う。
さっき、四角形が正方形に見えるという話が出たね。射影されると直線は直線になるけど、形や大きさは変わるんだ。例えば、円は楕円になるよ。そうやって射影・切断しても変わらないものは何かを研究する幾何学ができるのでは、と考えたのだ。
S:それは役に立つの?
【ジオジェブラによるデザルグの定理のシュミレーション】
T:最近はパソコンのゲームやシミュレーションの背景に使われている。
S:ゲームの画面に奥行きをつけるために、射影幾何学(透視図法)を使っているのか。
T:ここで、彼が発見した「デザルグの定理」を紹介しよう。左の二枚の写真を見てください。ある時、デザルグは透視図法を使って三角形がどう変化するのか調べていた。(上)まず片目で黄色い三角形を見ながら、透明なシートに重なるように描いた。そして、それを広げてみると、(下)対応する三角形の辺の延長線は二つの平面の交わる所(線)で交わる。つまり、三つの交点が一直線上にあるということに気がついたのだ。
S:これは、一番最初にやった線路の下を描いた時のBやCと同じだよ。実際の線路と絵(切断平面)の線路は必ず交わる。また、平面と平面の交わりは必ず一直線になるから、対応する三角形の辺の延長線の交点は一直線上にくる。BやCは絵の底の線が二つの平面の交線なんだ。
T:それがこの定理の証明ですよ。
S:ところで平面に描いたのに、立体的に見えるのはどうしてですか?
S:両目で見ているからじゃない?
T:これを片目で見ながらへこんだ真ん中の角を浮かび上がらせるようにしてみて。
S:あっ!立方体に見える。動かすと気持ち悪い。
T:これは三つの平行四辺形からできている。三つの平行四辺形は、片目で見ても立体に見える。
S:ボクは両目でも立方体に見えるよ。(これを実際に作ってみて下さい。)
T:このように透視図法を使わなくっても、奥行きは感じる事が出来るんですよ。どうやら私たちの視覚(感覚)は立体的に見える(認識する)ようにできているらしい。つまり、目で立体に見るのではなく、頭で見ているんだよ。脳は立体的に出来ているようだ。もっとも、これも訓練して身につけるもののようだけれど。
【立体視のいろいろ】『立体写真館』へのリンク
T:左の図は何が見える。
S:これは跳び箱と廊下が見えます。
S:線が何本か引いてあるだけなのに、どうして二種類の立体に見えるんだろう。
(太陽光線、OHPで影を作って見せる。)
T:この六角形はある立体の影です。この立体は何だろう?
S:立方体。(六角形に線を入れると立方体に見える。)
T:では、これは?
S:立方体。同じです。
T:本当にそうかな。(動かしてみる。)
S:あれ、ちがう。でもなんだろう。
T:これです。(見せる。)
S:正八面体だ。
T:正六角形に線を三本加えるだけで、立体になるんですね。これも頭の中で立体を作り上げていると言っていいと思う。このことはルネサンスよりはるか前の人たちも知っていた。
T:君たちは空間というとどんなイメージを持っている?
S:立方体。部屋。入れ物。トンネル。球。
T:立方体と球のイメージはちょっと違いますね。どちらも広がっているイメージがあるけど。立方体は前後左右上下に広がる。
T:次の絵で、前は右か左かどちらですか?
S:(1)は左です。
S:(2)は右です。机の前に立ちなさいと言われたら、右だよね。
S:(3)は左です。
S:(4)は左です。だって未来に向かっているから。
T:(4)は本当かな。B.Cって知ってる。Before Christ(紀元前)というよ。beforeは訳すと以前だろ。キリストよりも昔なんだ。ところで、afterは後。beforeは?
S:beforeは前。あれ?どうして。
T:現在の地点に立って、過去の方を向いていると考えても良いだろう。過去は後にあるんじゃない。過去(歴史)は前にあるんだ。日本語でも前世といって過去のことを前と使う場合もあるよ。
S:(3)では書いていく方が前だから、「も」の方が前ともいえるよ。
T:実際にバンツー語では「も」の方を前と言うそうだ。机だって自分に向いた方を前と言ってもいい。
このように「前後」という時に、何を基準にしているのかと考えてみると、自分の「身体」を元にしている。とすると、空間は「身体」から出てきたといえる。私たち自身の「身体」が最初の空間で、その「身体」がどんどん広がったものが「世界(現実空間)」なんだ。だけど、私たちは空間と身体とは別物だと考えてしまっているんじゃないかな。もう一度、空間を自分自身の「身体」からとらえ直してみようよ。
例えば、実験とは自然を「身体」で考えたり「身体」で見ることであって、答えを確認することではないよ。ろうそくの科学で有名なイギリスの物理学者ファラディーは、他の人が実験した結果についての意見を求められると、その実験を自分がやったことがないとほとんど理解できないので、自分で実験をやってからコメントしたと言われているよ。
駄目押しでもう一つ。「身と心は分かつことができない。だから、心のない身は物を感ずることができず,身のない心は理を知ることができない。」金子大栄(歎異抄、岩波文庫)
参考文献
『沈黙のコスモロジー』丹羽敏雄,遊星社。『絵画空間の哲学』佐藤康邦,三元社。
『空間についての数学』クライン,東京図書。『エッシャーの宇宙』B.エルンスト,朝日新聞社。『身の構造』市川浩。