「大江戸の町づくり」は、等角螺旋(「の」の字の形)で!

嘉永2年(1849)から慶応元年(1865)の江戸切絵図です。明暦の大火の後、金沢清右衛門が規矩術(三角測量)を使って正確に測量して江戸の実測図を作り、それをもとに「の」の字型の都市計画を立てました。三角測量は、江戸初期にオランダ人ガスパルによって日本に伝えられました。

この地図に等角螺旋を当てはめてみました。

(1)まず、中心は?
 いろいろやってみると、江戸城の紅葉山が良いようです。ここには家康をはじめとする歴代の将軍を祭った神社があるところです。

(2)次に角度です。
 江戸城の堀に合うように決めると、増上寺、上野の寛永寺、浅草寺などをらせんがぴったり通ります。
角度は97度から98度です。サザエやカタツムリとほぼ同じ角度です。

(3)新吉原から本所の方もぴったり重なります。
 武蔵国と下総国を結ぶ橋ということで、隅田川にはじめてかけられた両国橋によって、本所一帯の埋め立てが行われました。ここは碁盤の目状に区画されています。

元禄時代には世界一の人口を擁した大都市になっていました。

参考文献【江戸の町―巨大都市の発展】草思社・内藤昌著

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