帰命頂礼阿弥陀尊生まれ変わった寒念仏(歓喜念仏)和讃
謂を悉しくたずぬれば
南無阿弥陀仏の名号は
たった六字のみ名れど
名躰不二の御尊躰
名なり躰なり如来なり
姿は六十万億の
那由陀恒河沙由旬にて
金剛不易の御尊躰
我等が為に発されし
誓願不思議のみ名ゆえに
謂を聞きて頼むなり
機法一体能所不二
疑いなければ信(まこと)なり
称ふる声は行となり
摂取の利益あるゆえに
不捨の誓約籠てあり
往相廻向有るゆえに
還相廻向の利益あり
定聚の位有るゆえに
必ず滅度の利益あり
等正覚の有るゆえに
大般涅槃の悟有り
善有り徳有り利益あり
願有り行有り修行あり
慈悲あり知恵あり真(まこと)あり
方便有りて不思議あり
十信・十行・十廻向
観念・観察・戒行も
六波羅蜜に至る迄
皆悉く備わりて
八万四千の法門も
七千余巻の経文も
三朝高祖の論釈も
皆認(したた)めて中にあり
十方如来もおわします
三世諸仏もおわします
代々の知識もおわします
八百万の諸菩薩も
八百万の神々も
山峰々の権現も
村宮々の神明も
皆悉くおわします
一念信ずる立ち所
無辺の聖徳識身(心)に
攬入するとあるからは ・・・※
極楽参りの道具立て
万善万行諸波羅蜜
無量の功徳を調えて
掛け目不足のなきように
六字のみ名のその中に
成就なされて下被(くだされ)た
閻浮壇金(えんぶだんこん)金(こがね)にて
御長(おんたけ)十丈おわします
紫磨金色の御仏を
一万三千造ること
十度の供養をするよりも
一遍称ふる念仏の
功徳は遥かに勝るぞと
弘法大師も褒め給ふ
□じゃ声じゃと思えども
唯一声の念仏も
阿弥陀仏にておわします
かく聞きぬれば有難き
弥陀を離れた我もなく
我を離れた弥陀もなし
南無阿弥陀佛を称れば
天神地祇も敬伏し
魔界外道も障碍せず
称ふる作法を尋ぬれば
男女老少夫々の
己れ己れの所作ながら
行住座臥の撰びなく
時所も所縁も障りなし
御慈悲の上の御慈悲にて
造悪不善の此奴を
功徳の主に転じかえ
極楽参りは仏の所作
しずが小手巻繰返し
称ふるばかりが我が所作じゃ
南無阿弥陀仏 ありがたや
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
またいはく(同)、「いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。こ こをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種と なりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根 にあらず、これ多功徳なり」と。