「醜いアヒルの子の定理」の証明

1、類似点ゲーム

S:前から「醜いアヒルの子の定理」の証明を知りたかったんだ。
T:いいよ。でも、証明する前に、ちょっとゲームをやってみよう。

   『ここに「魚」と「机」がある。この二つのものの類似点を出してみよう。』

S:エー、魚と机? 類似点なんてあるの?
T:ありますよ。最低でも5つぐらいは見つけてよ。
S:(1)どちらも浮く。(2)どちらも地球上にある。(3)どちらも生き物だった。
S:もうないよ。まだあるの?
T:(4)どちらも猫ではない。(5)どちらも犬ではない。
S:そんなのインチキだ。
T:でも、どちらも猫ではないという点は同じだろ。
S:そりゃそうだけど、そうやって考えれば、類似点なんていくらでもあるよ。
T:実は、この定理の証明もこの考え方を使っているんだ。では、今度は相違点を考えてみよう。
S:魚は生き物で、机は生き物ではない。
S:魚は食べれるけど、机は食べれない。
S:色が違う。形が違う。名前が違う。・・・
S:いっぱいあるよ。
T:ということは、魚と机の類似点もたくさんあるし、相違点もたくさんあるということだね。この証明は、比較分類する観点を、この例(食べ物・食べ物でない・猫である・猫でない・食べ物であって猫である・食べ物であって猫でない・食べ物でなくて猫である・・・)の様に出すと、魚と机の類似点も相違点も同じだけあるということが示せるんだ。
S:表にすると良くわかるな。
T:結局、この定理から、類似点の数の多さでモノゴトを分類することはできないということがわかる。

( 私たちがアヒルと白鳥を区別できるのは、これらの特徴量に無意識のうちにそれぞれの「重み」をつけているからだと思われる⇒ニューラルネットワーク
⇒【詳しい証明

2、私たちは無意識のうちに、違う物を同じものとみなしている

S:つまり、二つのものを取り出したとき、類似点も相違点も同じだけあるということですね。
T:ところが、私たちは類似点の方をより注目する。これは類似点によって、モノやコトの値打ちをはかっているということだ。 例えば、この魚は2000円だったとする。机も2000円とすると、二つのものはお金を媒介にして同じものといってもいいよね。
S:値段が同じものは交換することができるから、同じとみなしてもいいよ。
S:似ている似ていないは、何を基に比較するかによって決まってくるということですね。
T:人間は、違うモノを同じモノとみなしてしまう動物なんだ。実際にいるワンワン吠える動物を「犬」と名づけ、犬という言葉と「イヌ」という動物を同じものとみなしている。
S:その人の名前は、その人そのものだもんね。
S:100円玉だってみんな違うけど、買い物をするときは同じだ。
T:ところで、ここに電子が二つある。この二つの電子は区別がつくのだろうか
S:二つあるのなら、区別がつくよ。
T:ところが、区別がつかないんだな。もし、区別がつくなら。違いを示すものがあるということだろ。ところが電子はそれ以上分けることができないものだから、違いがあるとしたらおかしい。だから、二つの電子は区別することができない。
S:区別できないなら同じものなの。何だか変だな。
S:ある場所が違うんじゃないの。

 

3、正比例と一次関数は同じモノか違うものか? ・・・正方形と長方形をなぜ違うものと考えるのか?

S:正方形と長方形は違うものでしょ。
T:正方形は長方形の一種だよ。
S:違うよ。だって、長方形は縦と横の長さが違う。
T:だからさ、その長さが同じ長方形を正方形と言うんだろ。
S:長さが同じだったら、長方形じゃないよ。
T:だから、縦と横の長さが同じ長方形を正方形と言うんだ。
S:そんなのおかしいよ。
T:それじゃここで長方形の定義を考えてみよう。つまり長方形とは何かということだな。
S:長方形って角度が同じ四角形だよ。
T:では、正方形は角度が同じ四角形ではないの?
S:あれ?同じだな。じゃ、正方形の定義は何なの?
T:角度が同じで、辺が同じ四角形だろ。
S:そうか。正方形は辺の長さが同じ長方形といいうことか。
S:では長方形は平行四辺形ということ?
T:そうだよ。平行四辺形の定義は?
S:えーっと、向かい合う辺が平行。長方形も、向かい合う辺が平行だから平行四辺形か。
T:こうやって考えると、正方形も長方形も名前は違うけど同じものと考えることができる。人間は違う名前を付けることによって、同じものを違うものと考えることもしちゃうんだね。では、一次関数と正比例は違う?それとも同じ?
S:違うよ。一次関数は原点を通らないし、χが2倍になってもyは2倍にならない。
S:でも、正比例も一次関数も直線になるよ。
S:それに増え方が一定だ。
S:ということは正比例は一次関数の特別な場合ということか。
S:y=aχ+b でb=0のときが正比例ということだな。
S:つまり、一次関数は正比例を拡げたものなんだな。
T:ぼくたちは、こうやって世界を拡げて行くんだよ。

4、数学とは異なるものを同じものとみなす技術・アート(ポアンカレ)

「キジの一番いと、日の2の2日とが、ともに数2の例であることを発見するまでには、永い歳月がかかったであろう。」バートランド・ラッセル:数理哲学序説

T:自然数を7でわったときに出てくるあまりの数で自然数を分類してみよう。
S:9÷7=1・・・2で、16÷7=2・・・2だから、9と16を同じ仲間と考えるということですか。
T:そうですよ。そうすると、自然数は〔あまり0の仲間〕と、それぞれあまり1、2、3、4、5、6の仲間の7つに分類されることになる。
S:それで?
T:この仲間の間で足し算をしてみよう。例えば〔あまり2の仲間〕+〔あまり3の仲間〕=いくつになる?
S:エーと、例えば9+10=19だから、7でわると、2あまり5だ。ということは〔あまり5の仲間〕だね。
S:そんなの当然だよ。2+3=5だろ。
S:ということは、あまりの仲間同士で足し算や引き算ができるということか。
S:あれ?これはカレンダーの曜日と似ているよ。
S:そういえば、7日が月曜日なら14日も月曜日だもんね。
S:7と14を同じものと考えるということだね。
T:7で割ってあまりが0の仲間をひとまとめにして[0]と名づけ、同様に[1][2][3][4][5][6][7]とすると、8つの新しい数の世界が出来る。この新しい数の世界でも四則計算が成り立つ。
S:でも、これが何の役に立つの?
T:いろいろ役に立つけど、身近な例ではインターネットで暗号(RSA暗号)を作るところでも使われている。この方法を見つけ出した人は相当儲けたんじゃないかな。

5、アナロジー・トレーニング

T:そうすると、私たちにとって、全く違うものの間に類似性を見つけ出していくことが重要なことになる。
S:それが数学ということなの。
T:数学だけでないよ。「発明・発見」だって、違うものの間に類似性を見つけることと言ってもいいくらいなんだ。そして、このことは世界のことが「わかる」コトにもつながる。だから、いつも「類似性」を見つけるトレーニングをするんだ。これは発見のトレーニングにもなる。

例えば、「道と川の類似性」を考えてみよう。
S:道も川も枝分かれする。交差点もあるよ。
S:そういえば、道は川に沿っているよ。
S:川も道も運ぶ。そういえばどちらも、ものが「流れる」というな。
S:上流と下流があるように上りと下りがある。そして、だんだん太くなる。
S:川は流れが多くなると堤防ができる。道にそって家ができる。
S:川は流れが多くなると洪水を起こし、違う流れができる。道路にはバイパスができる点が同じ。
S:道や川とよく似ているものに、血管があるよ。
S:木だって似ているよ。木は葉っぱにまで葉脈というのがある。
S:違うものなのに、どうして似ているんだろう。なんだか面白いな。

T:では、次は「宇宙と図書館の類似性」を考えてみよう。
例えば、次のように対応させると、
素粒子・・・文字の形
原子・・・文字
分子・・・単語
生物・・・文
生物の歴史・・・生物のコトを描いた本
宇宙・・・図書館全部
S:なんか似ているな。
T:言葉ってどんなコトやモノでも表せるだろ。だから、今まで考えてきたことはコトバの働きと言ってもいいんだ。

T:この等式はわかる?これがわかれば、君たちは立派に思春期を迎えている。
S:どんな式なの?
T:「10kg×100m=5kg×200m」 という式だ。
S:重さ×距離ということだね。
S:10kgの物を100m運ぶのも、5kgの物を200m運ぶのも一緒ということか。
S:そういえばそうだな。
T:みんなが同じだけ進まなければ平等じゃないと考えている人にとっては、この等式は成り立たないよね。でも、人はそれぞれ持っている物の重さが違うよね。だから、「ぼくたちは200m進むけど、君は100mでもいいよ。」と言えるのはすごいことだと思わないかい。

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